結婚式の二次会
今日は名駅で元同僚の結婚式の二次会がありました。ウチの会社は人の入れ替わりが激しい(勤務時間がキツくてみんな辞めちゃう)ので、元&現社員が集まったこの二次会は、まるで会社の同窓会のようでした。
久々に会った元同僚達と飲んで騒いで気付いたら、新郎新婦とあまり喋らないまま会がお開きになりました(席が遠かったからなー)。
新婦ともっと喋りたかった・・・。心残りなので、新居を襲う計画を立てています。
今日は名駅で元同僚の結婚式の二次会がありました。ウチの会社は人の入れ替わりが激しい(勤務時間がキツくてみんな辞めちゃう)ので、元&現社員が集まったこの二次会は、まるで会社の同窓会のようでした。
久々に会った元同僚達と飲んで騒いで気付いたら、新郎新婦とあまり喋らないまま会がお開きになりました(席が遠かったからなー)。
新婦ともっと喋りたかった・・・。心残りなので、新居を襲う計画を立てています。
今日、中国にアウトソースしたデータ作成の仕事を納品しました。ほとんどの作業を中国側がやったのにもかかわらず、中国側の請求額がとても安かったのでウチの会社はボロ儲け。みんなで大笑いしました。
そこで思い出したのが、「インドもアウトソース天国」だということ。
アメリカのIT産業が賃金の安いインドにアウトソースを出すようになり、そのためアメリカ国内の技術者の解雇が激しいというのは有名な話です。私はそれをニュースで少し知っていた程度でしたが、今回の年末年始のインドの旅で、香港からムンバイに行く飛行機で隣の席になったバンガロール出身の「携帯電話販売で世界中を飛び回る」インド人の男の子や、ムンバイからプネーに行くバスで後ろの席にいた「デリーのコールセンターで働く英語がビックリするほど完璧な」インド人の女の子と出会い、私の中で「優秀なインド人は、マジで優秀、驚異的」と印象付けられ、外国の需要を吸い取るインドの力にちょっと納得しました。
現在、インド政府はインド人の数字の強さを生かすため、理系の大学の増設を積極的に進めているそうです。インドでは毎年310万人が大学を卒業していますが、大学の増設によりその数はあと10年で倍増するらしいです。
ただ、インドの現状は私の目で見た限りその貧困具合はハンパでなく、人口一人あたりの所得は460ドル(2003年)、3億人が1日1ドル以下で生活し、10億人いる国民の3分の1以上が非識字者です。第三世界に共通する“官僚・役所の腐敗”はここも例外ではなく、公共サービスは賄賂(心付け)を渡さないと何もやってくれず(とインド人が言っていた)、警察も決して信用できるものではないらしいのです。評価されているアウトソースも含めたITサービスは総労働人口の1%未満と、現実はまだまだ・・・。
でも・・・、
私がいろいろな国を転々としていつも痛感したのは、「数の多さは決定的な強さ」だということ。インドは近い将来、中国を抜いて世界一の人口国になります。現在、安い賃金で外需をガッチリ取り込んでいるだけだけど、まだ未熟な国内の消費活動の基盤さえ整えることができれば、内需はこの先いくらでも拡大するのでは。
適当な予測だけど、impossibleでもないよね?
私は外国を旅行する時、必ず現地の新聞を読むようにしています。なぜかというと、ひとつの事実の報道の仕方が、国によってどう違うのか知りたいからです。それを知るのに新聞はもってこいの媒体で、その国を去る際は、飛行機に搭乗する前に必ず売店で新聞を買い、帰りの飛行機の中でそれを読むようにしています。
インドの新聞は、Mumbaiで泊まった(というか荷物を置かせてもらった)Hotel Diplomatが毎朝客室に新聞「The Times of India」を入れてくれるところだったので、売店で買う手間が省けました。このThe Times of Indiaは英語の新聞で、比較的地元ネタより国際情勢記事が多く、インドの上流階級や海外からの駐在員向けの内容かなというカンジです。芸能欄は、テレビ番組がアメリカからの輸入物が多いためか、非常にハリウッド慣れしてました。
帰りはクアラルンプールと香港経由だったのですが、香港の搭乗口で新聞が用意されていたので、思わず条件反射でピックアップしてしまいました。
この新聞は「東方日報」という広東語の新聞で、アメリカの新聞の日曜版のようにジャンルによって束が分かれた、とても分厚い新聞です。芸能(Entertainment)の束にはブリのラスベガス55時間結婚の記事が、地元ネタの束には香港の電車の中での痴漢撃退方法、経済の束には伊藤忠のビバレッジ産業の中国進出の記事が載っていました。
「日本人って、犬食べんだろ?」 と、インド人によく聞かれました。
「違う、違う。それは韓国人。日本人は犬食べないってば」
と言っても、また別の場所で別のインド人から「日本人って、犬食べんだろ?」と聞かれました。何の根拠で、こんな噂が・・・。
WE DO NOT EAT DOGS !!
インド人の手はとても冷たいです。この時期のムンバイは、夜は20℃弱になりちょっと肌寒くなります。私の体は寒さに反応して若干発熱するものの、インド人の体は気温に合わせて何の抵抗もなく冷え込んでしまうようです。さすが、Hot・Hotter・Hottestの国。寒さに耐性がないようで、気温といっしょに冷え込んでしまうようです(変温動物?)。
そのせいか、ムンバイの友達はちょっとでも冷え込むと、やたらブルブル震えていました。そんな日は「It’s cold tonight, Hah?(Hah?をやたら強調して言うの)」が挨拶代わり。でも、日本人の私は20℃を寒いと思えません。彼らが長袖を着ている中、平気な顔で半袖を着ていたら「風邪をひく」だの「上着を貸す」だの、やたら心配されました。
(平気だっちゅーの!)
インドのカースト制度について。
インド社会には、司祭階級の「バラモン」、その下に王族、武士階級の「クシャトリア」、農民や商人等の庶民階級の「バイシャ」、奴隷階級の「シュードラ」の4段階の身分階級があり、その中にさらにジャーティと呼ばれる職業別の身分差別があります。基本的に子供は親の仕事を世襲しなくてはならず、自分で職業を選ぶことができないといわれています。現在、インドの憲法で不可触民の差別、カースト全体の差別の禁止が明記されているけれど、やはり結婚や職業の選択時にとても影響があるらしいです。
私はたった8日間インドに滞在しましたが、それでも時々カースト制度について考えさせられることがありました。
例えば、インド人は初対面で名前を聞いた後に必ず職業を聞いてきます。そういう時私は「ホームページを作ったり、記事を書いたりしてる」と答えていたのですが、するとインド人は「Nice!」と言ってやたら当たりが良くなるのです。最初、何も分からず「ふふっ、そう?」といい気になっていましたが、実はそれは「やっていること」についてNiceと言っている訳ではなく、「IT系の職業に就ける(社会的な)身分」についてNiceと言っていることに、途中で気が付きました。
インド人は、相手の位を判断すると、それ相応の態度で接してきます。私のような外国人相手だとそれほど顕著に出してくることはありませんが(というか、私が身分の高い人だと勘違いされていたからかも)、インド人同士だとそれが非常にあからさまだったりします。
ムンバイで友達になった私の“飲み仲間”は、私のような外国人相手にお酒をおごれるだけあって、そこそこ金持ち連中でした。しかし、その彼らの中にもさらに微妙な区別がありました。
例えば、最後の日に私をレストランに連れて行ってくれてご飯をおごってくれた19歳の男の子に、「いろいろ良くしてくれてありがとう。日本に帰ったらメールするから、あんたのアドレス教えてよ」と言って紙とペンを渡したら、なんと紙とペンをそのまま隣の連れの子に渡すのです。「違う、違う。彼のアドレスではなく、あんたのアドレスが欲しいっちゅーの」と言ったら、「今、彼が僕のアドレスを書くから、待ってね」と。
「オイオイ、お前のアドレスだろ?自分で書けよ」と思ってしまいました。
いろんな文献を読む限り、カースト制度は(インドの社会にとって)悪い面ばかりではないとは思うんだけど、それはそれで置いといて、一人の若者の自尊心を人格的に何の根拠もなくただ肥大させる要因になってしまっているのはどうかなぁ、と思ってしまいました。
(友達だからフォローするけど、この子は人の気持ちを察して言葉をかけることができる優しい子です。身分で持ち上げられてしまう環境が悪いのです)
さて、インド最終日です。
ボンベイで出会った友人らと一緒に一体どこか分からないインドの田舎に滞在して3日目となっており、本気でひとまずホテルに帰らないといけない状況になっていました。ホテルにとって私は行方不明になっているからです。オーナーも心配しているに違いありません。
朝8時半に起きてホテルに戻るため身支度をしようとしたところ、昨日の夜に足元に置いたブラがありません。「あれ?ここに置いたのに・・・」布団を全部引っ剥がしてもやっぱりありません。友達に「私のブラがない」と言ったら、「よし。アパートを大捜索しよう」ということになりました。私のブラは、隣人が取り込んだ洗濯物の中から発見されました。それからアパートを出るまでの間、みんなに何度も背中のブラ線をパチパチつかまれ、「よっし、maeはちゃんとブラを着けてるな!もう無くすなよ!わっはっはー」とからかわれ続けました・・・。
昼過ぎ、3日ぶりにホテルに戻ったところ、オーナーが私の姿を見て非常に驚き、「今、警察に“宿泊客が帰ってこない”ってレポートするところだったんだよ!無事で良かった・・・。外泊するなら、連絡くれなきゃダメだよ」と怒られました。そして「ヒドイ目に遭ったりしてない?大丈夫だった?」と聞かれたので、デジカメの中の友達との陽気な(アホ)写真を見せて安心させておきました。それから今夜出発することを告げて出発時間のタクシーの手配をし、宿泊料金を精算しました。
部屋に戻って自分の荷物を確認し、3日ぶりに髪と体を洗いました。ベッドで少し仮眠を取り、夕方にシーサイドまで出てそこらでたむろっている友人らに「今夜、日本に戻る」と話をして回りました。みんなに「今夜なの?」「あと2、3日ステイできないの?」「今度いつムンバイに戻ってくるの?」と何度も同じ質問をされました。「今夜のフライトで日本に戻らないといけない」「仕事があるから、これ以上滞在できない」「今度来るのは、多分来年。次は長期滞在にしたい」と答えて回りました。
夜中の12時を過ぎた頃、「機内食の時間を考えて、今のうちにちょっと何か軽く食べておきたい」と言ったら、近所にある彼らオススメのレストランへ連れて行ってくれました。そこでマサラとナンを食べ、インドのストロングなタバコを一緒に吸い、「これで僕らを思い出して」と身に付けているブレスレットやらカエルのおもちゃのキーホルダーやらをもらいました。
出発15分前にホテルに到着するよう送ってもらい、インド人にとってToo Friendlyと分かっていながらも思わずハグして、みんなと別れました。ホテルの部屋に戻って一人になると無性に寂しい気分になってベッドに倒れ込み、思わず「みんな、なんていい子なのー?ここを離れたくないよー」と声に出して言いました。しかしその瞬間、それまで英語(と片言のヒンディー語)で過ごしてきたのに突然自分が日本語を喋ったことで我に返り、「ここはインド、私の国じゃない。日本に帰り、自分の生活に戻らないと」と自覚しました。
帰りの飛行機の出発を待つサハ-ル空港は、インドとは思えないほどとても寒く、私のバケーションも終わりなんだなぁ、と思いました。
「マッチャラ」は、ヒンディー語で「蚊」のことです。
ムンバイは元々マラリアを持つ蚊が多くいた湿地帯を埋め立てた都市です。ダウンタウンは都会で蚊が少ないのか全く刺されなかったけど、友達のお姉さんが住むMira Roadに行ったら異常に刺されまくりました。
ムカつくのが、インド人の友達らは誰一人全く刺されず、私だけ刺されていたこと。「なんでmaeだけ刺されるんだろね?日本人の血って、美味しいのかなぁ?」と言ってみんな笑っていたけど、こっちは痒くて痒くてたまんないんだよ!
「No more マッチャラ~!」が口癖になりました。
友達のお姉さんに生後2ヶ月の赤ちゃんがいたのですが、その子にはまだ名前がありませんでした。
母親であるお姉さんに 「じゃあみんな、この子をどう呼んでいるの?」と質問してみたら、「We just call her “BABY”」とのことでした。
インドでは、子供の名付けはある程度大きくなってから行うそうです。お姉さんも、「名前を付けるのは、もうちょっと大きくなってから」と言っていました。
ホテルに連絡しずに酔っ払ってソニヤのアパートに泊まってしまったので(連絡しようにも電話がなかった)、一度ホテルに戻ろうと昼前にアパートを出て列車でダウンタウンに向かいました。しかし、途中で他の二人が「お腹すいたよね?」と話し始め、途中下車して食事することにしました。
その途中下車した駅は友達のお姉さんのアパートの近所だということで、いつの間にか「お姉さんちに遊びに行こう!」ということになり、お姉さんの旦那さんである義理のお兄さんに駅まで迎えに来てもらい、お姉さんのアパートに行くことになりました。
アパートは2ベッドルーム&キッチン・バス・トイレで、もうひとつのベッドルームを他の若夫婦が間借りしていました。その間借りしている夫婦の奥さんは、なんと日本人とインド人の混血。20数年前にインドに旅行者として日本人のお父さんがやって来てインド人の彼女のお母さんと結婚したそうです。しかし、彼女が小さい頃に両親は離婚してお父さんは日本に帰ってしまったそうです。
結局、その間借り夫婦とお姉さん夫婦、そして友達と私とで1日中アパートで話をしながらだらだら過ごしました。
間借り夫婦の旦那さんはいつか日本に行きたいらしく、日本に行くにはどうやってビザを取ればいいのか熱心に聞いてきました。私は日本人が他の国のビザを取るにはどうすればいいかは詳しいけど、外国人が日本のビザを取る方法についてはよく知りません。というか、彼の奥さんは日本人の血が流れているので、彼女と一緒に日本に行けばノープロブレムのはず。そう言ったら、奥さんは日本行きには反対とのことでした。
あっという間に夜になり、お腹もすいたので近くのバザールの屋台で夕飯を食べることになりました。みんなのお気に入りのチャイニーズ屋台に行き(もちろん料理を作るのはインド人)、私は“ジャパニーズ・ヌードル”を頼みました。出てきた料理はどこがジャパニーズなんだか分からなかったけど、それなりに美味しかったです。
食も進み、いつの間にかお姉さんの旦那さんが買ってきたビールとウイスキーを男連中が飲み干し、追加が欲しいということになりました。しかし酒屋は屋台からバイクで15分ほど走ったところにしかありません。酔っ払った旦那さんがバイクに乗ってお酒を買いに行こうとするので私はそれを引き止め、私も一緒に2ケツでバイクに乗るんだったらいいと言い張り(だって危ないんだもん!)、舗装されていないインドの田舎の道を酔っ払いと一緒にバイクで走ることになりました。酒屋に到着し、旦那さんに「おうっ、オメーも飲めよ。何がいい?」と聞かれたので、「キングフィッシャー、マイルドで」と答えました。(三晩続けてキングフィッシャーです・・・)
屋台のご飯が済んでからバザールに来ていた移動遊園地で少し遊び、その後アパートに帰りました。アパートに帰ってから部屋を暗くし、音楽をガンガンにかけて踊りながら残りのお酒も飲みました。夜も遅くなり、私は明日インドを発つことになっていて寝坊するわけにいかなかったから、みんなより先に寝させてもらうことにしました。そしたら、友達のお姉さんに「寝る前に、今財布の中にいくらあるか教えて」と言われました。「200ルピーだけど・・・」と答えたら、「200ルピーね。じゃあ、その財布とあなたの荷物をカギ付きスーツケースにしまうから」と言い、私の荷物一式(と言っても、ポシェット1個)をスーツケースの中にしまいました。その横で友達がこっそり「同居人が盗み癖があるから、念のためなんだよ」と教えてくれました。
みんなが話をしているすぐ横で私が寝転ぶと、会話が一斉に英語からヒンディー語に変わりました。何を言っているかは分からないけど、好意的に受け入れられてることは確かだったので、安心して眠りにつきました。
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