12 月
21
2010
2

相方の30歳の誕生日

誕生日ケーキたち

誕生日ケーキたち

今日は、相方の30歳の誕生日でした。

相方に「誕生日の夜は、外に食べに行こっか?」と聞いたら、「うーん、外で食べるより家がいい。部屋着でリラックスして、ポポをひざの上に乗せて、TVを観ながらご飯を食べるのが一番幸せ」ということでした。

そのため、相方の仕事が終わってからスカイトレインの駅で待ち合わせて、T&Tに行ってケーキを買いました。ちょっと残念だったのが、以前は7個で$11.29だったのに、今は「6個以上お買い上げで消費税ゼロ」に変わったこと。実質、$3の値上げ。ちょっと悲しい~

しかし、なんと相方がとうとう30歳です。出会った頃は彼はまだ24歳で、いつもふざけてばかりいる能天気な若造だったのに、この5年間にいろいろあって、30歳になった今では随分落ち着いたように思います。

今でも普段はふざけてばかりだけど(男という生き物はそういうものなのでしょうがない)、以前に比べて責任感がとても強くなりました。頼みごとをすると最後までやり遂げてくれるし、物事を楽観的に捉え過ぎず人並みに慎重になってくれるようになったし。

そのため、最近は、ちょっと苦労しそうな手続き関係を安心して相方に任せられるようになりました。(この点、移民に苦労して本当によかったと思ってます)

それにしても、相方が24→30ということは、私はなんと30→36、そう、もうすぐ36歳!
うぎゃー、なんてこったいなー

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3 月
31
2010
6

「愛情表現」の仕方

以前、「人前では愛情表現を見せないのが日本流」というエントリを書いたのですが、それについて「ウチの父さん」の場合。

昭和17年生まれのウチの父さんは、団塊真っ只中の世代。ひと昔前のオヤジによくあるように、「愛情表現」がとても苦手で、ウチの母さんと手を繋いで歩くこともなければ、母さんをロマンティックなデートに連れ出すなんてことも全くなく、子供たちに対しても「家族が大切だ」とか「好きだ」とか全く言わない人でした。

昔は、「お父さん、ホントに私たちのこと好きなのかな。義務で養っているだけなのかな」と思っていました。でも最近、それは「愛情表現」の仕方が違っていただけだ、と思えるようになりました。

ウチのおとんは、大学を卒業してすぐ就職した会社を定年まで勤め上げました。勤続期間、22歳~60歳、勤続年数、なんと、38年。その間、毎月ほぼ安定した給料を家に持ってきてくれました。

父さんの弟がちょっと困った人で、他で借金を作っては、いつもウチにお金の無心をしてきたため、ウチは安定した収入がありながら、生活はいつもギリギリでした。でも、どれだけ叔父さんがウチにお金を無心してきても、父さんが毎月ちゃんと給料を持ってきてくれるからウチは大丈夫、と家族は安心して暮らすことができました。

でも実際は、勤続38年はとても大変なことだったみたいです。

ウチの父さんは社内の政治に疎く、性格的にも要領がいい方ではないので、出世コースに乗っていなかったことは(娘から見て)容易に想像できます。時には職場の人間関係に悩んだこともあるようで、私が子供の頃、父さんが母さんに「でも、頑張んなよ」と励まされているのを偶然見たことがあります。

娘の私から見えないところで(見せないように)いろいろあっても、父さんは働き続けました。60歳の誕生日、定年退職のその日まできっちり勤め上げました。

今では、父さんは「毎月必ず給料を持って帰る」という方法で、家族を守ってきたのではないかと思っています。もし、父さんが仕事を辞めてしまっていたら、ウチは叔父さんの借金にのまれて破綻していたかもしれません。

愛情表現の仕方はそれぞれ。「自分がどれだけ相手を好きか」をアピールする仕方もあれば、「大事だから」こそ、その人(たち)を「守る」という方法もあります。ウチの父さんは、後者のタイプなんだと思います。

そんな父さんは、定年退職後、やることがなくなって暇なのか、「お稽古だ」「観劇だ」と忙しく出掛けまわる母さんの後をいつも付いて回っているのだそうです。母さんが、「お父さん、私の専属運転手になったのよ」と言っていました。未だにやっぱり愛情表現(アピール)はできないけど、「役に立ちたい(嫌われたくない?)」と頑張っている父さんが、なんだかもう健気です。

そんな父さんも、今日で68歳になりました。
娘は、あなたがずっと私たち家族を守ってきてくれたことに、感謝しています。
爸爸、祝您生日快樂。身體健康!

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9 月
04
2009
0

「義理」だからこそ難しい

Common-lawといえども、今年5月の両親顔合わせ以来、相方の家族とは既に籍を入れてるような“家族”付き合いが始まっています。

といっても、相方とウチの両親の場合、まず初めに「言葉が通じない」ということもあるし、お互い特に言葉をやり取りしなければいけない用件が無いので問題ないのですが、私と相方の両親の場合、何かと話を付けなければいけないことが(特に最近)たくさん出てきて、その際、どこまで率直に、どこまでハッキリさせていいのかが、とても難しく思えるようになりました。

例えば、先月の初め、弟弟が来る3週間前に、私の知らないところでいつの間にか「弟弟を家賃$0で面倒みる」となっていたこと。

日本人だったら、相手が身内なら家賃は取らないまでも、世話になる家に対して負担にならないように最低食費ぐらいは入れるのは当然だけど、台湾人(というか中国)的な感覚だと、ウチの相方は「お兄ちゃん」だから弟弟を金銭的に助けるべき、家賃も食費も取らないし、お小遣いまでも与えるべきだ、と考えられていて、さすがにそれは現実的に無理だったので、具体的にできない理由を説明して、結果、食費+家賃の足しになる程度の月$300入れてもらえることになりました。

問題は、ことを詰めれば、当初「弟弟を家賃$0で面倒みる」となったのは、ウチの相方が自分の両親に頼まれたことを、その場で「Yes」と言えばそれで話が終わるから「Yes、Yes」と言い続けてきたことであり、彼が「「Yes」と言い続けなければいけなかった訳は、中国系の家族は、どんな状況でも家族は助け合うもの、そして親から頼まれたことは簡単には断ってはいけないと考えられていること、そして相方の両親も「まさか、弟弟に金銭を要求なんてしないよね?」と考えていたこと。そして一番の問題は、今回のことに関して相方の家族は自分たち(爸爸、媽媽、相方、弟弟の4人)の中のことと捉え、私を関わらせる必要がないと思っていたこと。その結果、弟弟がウチに滞在するに当たってのことが、一切私の耳に入らず、相方の両親と相方だけで全て決められてしまっていました。

そのことについては、相方と大喧嘩をし(壁に穴を一つ開け)、2日間みっちり話し合って、「今後一切、この家に関すことは、私抜きで自分たち家族の中だけ(one side)で勝手に話を進めない」と誓ってもらいましたが、相方だけが気をつけても、相方の両親が何も変わらなければ、この先また同じことが起こります。なので、相方に頼んで、相方の両親に直接話をする機会(メッセンジャーのWebcam)を与えてもらいました。

失礼にならないよう、相手の尊厳を損ねないよう、だけど、こちらの言い分も分かってもらえるように、言葉を選び、(ついでにウチの相方が下手な通訳をしてしまわないよう、英語も一切の比喩・隠喩無しの簡単な表現にし)、文章をなるべく切って話し、発言の後で相手の反応を見てから次の文章を口にする、というカンジで、それなりに時間をかけて話したところ、なんとか分かってもらえたようでした。(でも、もしかしたら、「いちいち何でもハッキリさせようとして、厳しい子だなぁ」と思われちゃったかも。。)

あ゛~っっ、自分の親だったら何でも遠慮なく言えるのに、相手が相方の親となると・・・。どこまで率直に話していいのか、見極めが難しい~~(>_<)。

今さらながら、義理に当たる人との付き合いの難しさに気付かされました。
早くに結婚した友達が話す義理の家族の愚痴を、今やっとリアルに感じることができるようになりました。

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8 月
22
2009
0

bad temper

弟弟がウチに来る前、何度かメールでやり取りしたのですが、その際に「僕はbad temperを持っている」と言っていた意味を、今日、知ることになりました。

今日、IKEAに本棚を買いに行ったのですが、IKEAに行く途中、バスを待っている間、弟弟が鼻をかみ、その鼻をかんだ後のティッシュを近くのゴミ箱に投げたところ的が外れて失敗し、ティッシュが地面の上に落ちてしまいました。

でも弟弟は落ちたティッシュをそのままにしているので、私が「弟弟、あのティッシュ、ゴミ箱の中に入れないとダメだよ」と言ってもそ知らぬ顔をしています。なのでもう一度、「ほら、あれ、ゴミ箱に入れないと!」と言ったら、強く口をつぐんで顎を引いて上目遣いで睨みながら、私の顔に向かって人差し指を指してきました。

一瞬、馴染みのないジェスチャーだったので何だか分からなかったけど、すぐそれは「俺に指図をするな」のジェスチャーだということが分かりました。

こちらは突然敵意を見せられビックリしたのですが、私以上に相方が弟弟のその悪態に怒り、その場でケンカが始まりました。

そのケンカは全て中国語だったので何言っているのかは分からなかったけど、ケンカの後、弟弟が急にしおらしくなり、IKEAに行き、買い物を済ませ、無事家に帰ってきました。

その夜、弟弟がシャワーを浴びているとき、相方に

「媽媽から弟弟のことを常識があって、家事もちゃんと手伝う子だと聞いていたから同居をOKしたんだけど、今日のあの態度はどう考えても常識無いよね?アレを今後この家の中でやられたら、私、一緒に暮らしていくことができないんだけど」

と言ったら、相方が

「今日のアレは僕もビックリした。僕は11年間弟弟と離れて暮らしてきたから、僕は14歳までの彼しか知らないんだ。あの後、僕と弟弟が中国語でケンカしてたじゃん?あん時、道にゴミを捨てるなんていうようなモラルのない行動と、それを正しい方向に導くために注意した人(私)に対してあのような態度を取ったこと、その相手が僕のパートナーだということが許せないと言ったら、本人も『これはマズイ』と反省したみたいだったよ」

その後、弟弟が『人に指図をされると、瞬間にカッとなってああいう態度を取ってしまうことがある。それが例え自分の母親でも。それでいつも母親にこっぴどく叱られてる』と告白してきたそうです。自分でもコントロールできないようで、それが原因で問題を起こしたこともあそうです。

でも、弟弟は25歳で、もう十分立派な大人。個人的な問題を持っていても、それを周りの人にカバーさせることが許されるような年齢ではありません。ましてや、ここは両親の家ではなく、他人(兄&義理の姉)の家。他人と同居するにあたって今後トラブルを起こしそうな自身の内的な欠点は、自分で克服してもらわなければ困ります。

今日、相方がちゃんとハッキリ怒ってくれたお陰で、今夜、弟弟はとてもしおらしくなっています。むしろ、弟弟が来てからのこの3日間、家の中では兄より整理整頓ができてるし、家事を手伝ってくれたりしています。助かってます。

今日のあの態度はビックリしたけど、今日のは一度だけの失敗ということで水に流し、今後、弟弟が相方の言葉をどこまで真摯に受け止め、どう変わってくれるか見ていきたいと思います。

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8 月
21
2009
0

(付き添いで)SFUに行ってきました

SFU Convocation Mall

SFU Convocation Mall

SFU Student Central

SFU Student Central

今日は相方と弟弟と私の三人で、弟弟が来月から通うSFUに行ってきました。

三人とも、SFUのバーナービーキャンパスに来たのは初めてで、バスを降りてからどこに行っていいのか分からず、とりあえず近くの建物に入って、学校のスタッフらしき人に「Admission Officeはどこですかー?」と尋ねて、なんとかStudent Centralにたどり着くことができました。

まずはInternational Student Officeに行って、入学手続きの仕方と入学までに何をしなくてはいけないのか教えてもらいました。弟弟はまだ自分にとってベストなコースがComputer ScienceなのかEngineeringなのかが分からず、学部のアドバイザーと直接話をしてから決めたいということだったので、とりあえずキャンパスの最果てにあるその学部の建物まで行き、カウンセリングの予約を取って、家に帰ってきました。

来週、弟弟は一人でSFUまで行ってカウンセリングを受け、コースを決めてから9月から取るクラスをレジスターして学費を払い、そこでやっとStudent IDとU-Passがもらえるということです。

学業大変だと思うけど、頑張れ!
私は私なりに、毎日美味しいごはんを作ってあげてサポートしたいと思います。

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8 月
20
2009
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弟弟が来ました

今日から、弟弟との同居が始まりました。

午後9時にバンクーバー国際空港に到着するということで、開通したてのCanada Lineに乗って、相方と一緒に空港まで弟弟を迎えに行きました。

弟弟と初めて会い、挨拶程度の会話をしたのですが、弟弟の英語が非常に分かりにくい・・・(>_<)。これが、“シングリッシュ”なのか!?

悲しいくらい理解できなかったので、相方に通訳してもらい「(弟弟)英語→(相方)英語→私」でなんとか会話することができました。そして、向こうもどうやら私の日本語訛りの英語が理解しずらいのか、何度も相方に助けを求めてました(これもある意味、悲しい)。

弟弟の英語は、爸爸の英語と全く同じアクセントです。爸爸の英語をてっきり“中国語訛り”だと思っていたのですが、どうやらあれはシングリッシュだったみたい。10歳でシンガポールに移民した弟弟が同じアクセントだから。

ともあれ、今日から同居が始まりました。
さて、中国語覚えるぞー。

Canada Line YVR – Airport Station

Canada Line YVR – Airport Station

Canada Line YVR – Airport Station

Canada Line YVR – Airport Station

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8 月
07
2009
2

弟弟が来ます

相方の弟が9月からSFUに通うことになり、学校に通う間、ウチで一緒に生活することになりました。

ウチの相方も弟みたいなものだから、弟弟が来るのは、もう一人、弟が増えるようなカンジです。実際は兄二人で末っ子の私ですが、元々姉キャラなのかしらないけど、年下の男どもの面倒見るのは苦じゃないです。でもあくまで“姉キャラ”なので、面倒は見るけど家事も手伝わせます。兄貴と同じ失敗を犯さないよう、弟弟には「家事を手伝える男」になってもらわないと。(本人のためにもね)

弟弟から、8月20日の午後9時5分、バンクーバー空港に到着すると連絡がありました。
賑やかな日々がもうすぐ始まろうとしています。◕‿◕。

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6 月
07
2009
6

ウチの父さん母さんが帰国しました

爸爸媽媽に引き続き、ウチの父さん母さんも日本に帰国しました。

今回、これが父さん母さんにとって初めての海外旅行だったため、最初はいろいろ不安があったようですが、ロッキーから帰ってきた頃から英語環境やいろいろな人種が歩く街中にも慣れ、最後の方はエンジョイしていたようです。

12日間の滞在中、

・カナディアンロッキーを旅行し、
・(バンクーバーに帰ってきてから)セスナ機を操縦してダウンタウン上空を飛んだり(インストラクター付き)、
・ビクトリアに日帰り旅行に行ったり、
・ウチのアパートの近くでアライグマがカラスの巣から卵を盗むところを目撃したり、

あと、“移民たちが自国から持ってきた本場の味を堪能する”というコンセプトで、

・ギリシャ料理レストラン(Maria’s Taverna)でとろけるようなラムを食べたり、
・カナダ料理レストラン(The Keg)で厚さ2cmのカナディアンビーフのステーキを食べたり、
・韓国料理レストラン(Jang Mo Jib)で骨付き豚肉の鍋を食べたり、
・中華料理レストラン(Hon’s Wun-Tun House)でふわふわのチャーハンを食べたり、
・インド料理レストラン(All india Restaurant)でいろいろな種類のカレーとナンを食べたり、

と、短い間ながらスケジュールをめいっぱい詰め込んで楽しんでくれました。

私は20歳を過ぎてから、実家から離れることが多く、実家に滞在していた時も仕事が忙しくてあまり家に居ることがありませんでした。だから、久しぶりに親子一緒に過ごす時間はとても貴重で、これまで離れ離れだったブランク期間を、今回取り戻せたような気分です。仲良く会話したり、遠慮が無さ過ぎてたまにケンカしたり、プリプリしつつも許しあって仲直りしたり、私が甘えて滞在中の家事を手伝ってもらったり(爸爸媽媽の時はさすがにそれはできなかったから)、そういう当たり前のことがとても楽しかったです。

次会えるのはいつになるかな?
(今年中に一度日本に帰りたいなぁ~。運転免許の更新しなくちゃいけないし)

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6 月
02
2009
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爸爸媽媽が帰国しました

ロッキー旅行からバンクーバーに帰ってきたその晩(正確には次の日の午前1時)、爸爸と媽媽が台湾経由でシンガポールに帰国しました。

今回は、相方が仕事に行っている間、私と爸爸&媽媽の3人で過ごしていたため、3年前の前回より一緒にいる時間が長くて、爸爸のはっちゃけぶりと、それと見守る媽媽の器の大きさにもっともっと触れることができました。

そしていつの間にか、相方のお父さんを「爸爸(中国語で実の父親の呼び方)」、相方のお母さんを「媽媽(中国語で実の母親の呼び方)」と呼ぶようになっていました。

本来は、義父は公公、義母は婆婆と呼ばなければいけないらしいけど、相方が彼らを「爸爸」「媽媽」と呼ぶので、それが私にも自然にうつっちゃいました。私が爸爸を「爸爸」と呼ぶと、爸爸は最初ちょっと(はにかんで)照れていましたがそのうち慣れてくれました。媽媽は、「ウチは息子2人(相方&弟)で娘がいないから、“媽媽”って呼ばれるとなんだか自分に娘ができたみたいですっごく嬉しい❤」と喜んでいました。

次回会えるのは、いつになるのだろう?
いつも向こうからバンクーバーに来てもらっているので、今度はぜひウチがシンガポールまで会いに行きたいと思います。◕‿◕。

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6 月
01
2009
0

カナディアンロッキー旅行に行ってきました


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私と相方、爸爸媽媽、父さん母さんの6人で、5月29日(金)~6月1日(月)の4日間、3泊4日の行程でカナディアンロッキー旅行に行ってきました。

移動は全てバスで行うバスツアーです。運行はバンクーバーにある日本の旅行会社のため、ガイドは全て日本語で行われます。そのため、私はガイドさんが日本語で言ったことを英語にして相方に伝え、相方はそれを中国語にして爸爸媽媽に伝えるという、常に伝言ゲームをしているような旅になりました。

スケジュールは、

初日
Vancouverを出発して→Hope、Merritt、Kamloopsを通過して→Valemountに宿泊

2日目
Valemountを出発して→Mt.Robson、Jasper、Athabasca Waterfall、Ice Field(コロンビア大氷原)を観光して→Banffに宿泊

3日目
Banffを出発して→Lake Louise、Moraine Lake、Last Spikeを観光して→Kelownaに宿泊

4日目
Kelownaを出発して→果樹園、ワインワイナリーを見学して→Vancouverへ

というものです。バスは12人乗りで、今回、参加者が私たち6人に母娘婿の3人の合計9人だったため空席があり、ゆったり座ることができました。

Black Bear

Black Bear

初日は、朝8時にVancouverを出発して、Merritt近くの湖畔でランチを食べ、一気にValemountまで行きました。Clear Waterを過ぎたところで、道端にブラックベアを発見。ウロウロ歩き回っていると思ったら、木を揺さぶり始めたり、転がったりして、少し挙動がおかしい熊でした(ガイドさんも「あの熊、ちょっとCrazyだね~」と言ってました)。

アサバスカ滝

アサバスカ滝

2日目は、Valemountを朝7時に出発し、Mt.Robson、Jasper、Athabasca Waterfall(アサバスカ滝)に寄って、Ice Field(コロンビア大氷原)に行き、雪上バスに乗って氷河まで行きました。ガイドさんのオススメで、氷河に空のペットボトルを持っていって、雪解け水をその中に入れ、この日はバスの中でずっと雪解け水を飲んでいました。水道水とは違って、完全に無味&ピリッと冷たくて、とても美味しかったです。

(ペイトレイクにも行きたかったのですが、ペイトレイクまで行く道路が積雪で封鎖されていて行くことができませんでした。ガイドさんが言うには、この道路は毎年だいたい6月の下旬頃に通行できるようになるらしいです)

Ice Field

コロンビア大氷原

2日目とあって通訳に慣れてきたものの、ガイドさんの説明を英語にして相方に伝えながら、それと同時にウチの親と日本語で会話していたので、時々頭がごっちゃになって無意識にウチの親に英語で話しかけてました。それを媽媽に笑いながら「mae! You are using English to your parents!」とよく指摘されました。

(2ヶ国語同時に操るのは、頭の切り替えが大変!通訳という職業を尊敬します・・・)

アメリカアカシカ

アメリカアカシカ

この日の夜はBanffのホテルに泊まったのですが、山の中のホテルでシャワーの水がミネラルウォーターなのか、シャワーを浴びた後、肌がすごく乾燥してしまいました。ボディ用の保湿クリームを持ってきてなかったので、仕方なく顔用の保湿クリームを特に乾燥がひどい腕に塗り、その場をしのぎました。

3日目は、Banffのホテルを朝8時に出て、シャトーレイククルーズに行く途中、道のすぐ脇でアメリカアカシカ(Elk)が草を食べてました。それを見つけて、鹿のすぐ横でバスを止めたのですが、鹿は全然私たちのことを気にせず黙々と草を食べ続け、しまいにオシッコまでしてました(人馴れしてる?)。

レイクルイーズ

レイクルイーズ

レイクルイーズの水はまだ凍ってましたが、私は凍った湖を見るのは初めて、そしてなぜかみんなハイテンションで、氷を投げ合って遊びました。湖の水は、海とは違って完全無色なため、空の色、周りの風景の色、湖底の色をそのまま映し出します。レイクルイーズは、空の青、周りの木々の緑、湖底の黒、そして氷の白が混ざり合って、とても美しかったです。

モレーン湖

モレーン湖

次に、ガイドさん一押しのモレーン湖に行きました。ここもレイクイーズと同じくまだ半分凍っていたものの、景色が超絶景で感動しました。モレーン湖は、湖まで行くのに駐車場から少し山を登らなきゃいけないのですが、その山が大した斜面でもないし距離も短いのですが、やたら疲れました。どうやら、標高が高いため空気が薄いのが原因のようです。私がゼイゼイ言いながら登っていると、すぐ前に居た相方は、シマリスを見つけてチョコレートをあげて遊んでいました(なんと、チョコを食べたそうな!)。

モレーン湖までの遊歩道で

モレーン湖までの遊歩道で

その日の夜はKelowna宿泊で、バスがホテルに着いた時、相方ファミリーが「今夜はホテルのレストランではなく、もっといい所で食べよう」というので、ホテルから数ブロック先の中華レストランに行きました。

どうやら相方ファミリーは、この夜に両家の正式な顔合わせ晩餐を行いたかったようです。料理が運ばれ、お酒をグラスに注いでから、まずは爸爸の挨拶、それを相方が私に訳し、私がウチの両親に訳して伝え、ウチの父さんがそのままボンヤリしていたら、媽媽から「次はmaeのお父さんの返答の番よ」と促され、ウチの父さんがモゴモゴしている間に母さんが爸爸の挨拶への返答をし、それを私が相方に訳し、相方が爸爸に訳して、(伝言ゲーム式の)挨拶が終わりました。

そして次に、爸爸媽媽、父さん母さんの4人で乾杯、次に私と相方&父さん母さんの4人で乾杯、次に私と相方&爸爸媽媽の4人で乾杯、そして最後に6人全員で乾杯しました。通常は「親同士」→「若夫婦&婿親」→「若夫婦&嫁親」の順番らしいのですが、今回はウチの両親がゲスト扱いなので、嫁親を先に乾杯させたのだそうです。(私は台湾の様式には疎いので、勉強になりました)

ケロウナの果樹園で

ケロウナの果樹園で

最終日はKelownaのホテルを朝9時に出て、果樹園&ワインワイナリーに行きました。果樹園では、リンゴのアイスワインを試飲しました。3種類のリンゴのアイスワインを試飲したのですが、フジリンゴから作ったアイスワインがブドウのアイスワインよりずっと甘くて香りがあって美味しかったです。

ワインワイナリー

ワインワイナリー

果樹園の次に寄った(ブドウの)ワインワイナリーでも、アイスワインを試飲しました。ブドウのアイスワインは白ブドウと赤ブドウの2種類あって、白ブドウは産出量が多いため、バンクーバーなどの街の酒屋でも売っているのですが、赤ブドウのアイスワインは産出量が少なく貴重なため、生産しているワイナリーでしか売っていないのだそうです。お酒の好きなウチの母さんはそれを聞いて「ぜひ買わなければ!」と思ったのか、1本$100もする赤ブドウのアイスワインを買ってました(もちろん、自分で飲む用!)。

ワインワイナリーの後は、州道C97号を通ってMerritt経由でバンクーバーに戻りました。最終日ということもあり、バスの中はみんな疲れて眠っていたのですが、私はKelownaからMerrittまでのゆるいカーブの坂道を降りていくのがすごく面白くて、ずっと起きて窓の外を見てました。バンクーバーに着いたのは、午後6時半でした。

モレーン湖で記念写真!

モレーン湖で記念写真!

今回の旅行は、去年の12月に「両家の親同士をバンクーバーで顔合わせしよう」と計画した際、媽媽から「せっかくだから、バンクーバーからみんなで小旅行に出ない?」と言われ、ウチの両親にカナダの広さを見せたかったのと、私自身もMaple Ridgeより東に行ったことがなかったため、行き先をカナディアンロッキーに決め、日系の旅行会社でツアーを見つけて3月に申し込んだ旅行でした。

途中、4月の末頃、日本での豚インフルエンザの過剰報道でカナダに来るのが不安になったウチの父さんが「バンクーバー行きをキャンセルしたい」と言い出したものの、私と母さんで説得してバンクーバーに来てもらい、無事、旅行に全員揃って参加することができました。

3日目の晩、Kelownaの中華レストランで、媽媽に「こうしてみんな揃って楽しく旅行する機会を作ってくれてありがとう」と言われました。旅行代理店を何軒か回ったり、旅行を申し込んで代金を立て替えたり、旅行時の服装や持ち物を確認したりなど、準備のためのいろいろな苦労が、その一言で報われた気分になりました。いえいえ、こちらこそ、日本語ツアーのためガイドさんが言っていることが分からないのにもかかわらず、文句一つも言わず、相方の通訳のみで楽しんでくれた爸爸媽媽に、とても感謝しています。

総走行距離2,111km、4日間天候にも恵まれ、期待以上にとても楽しいカナディアンロッキー旅行でした。

一生の思い出となりました❤

Written by may in: family, travel |

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