11 月
15
2011
0

幽霊

子供の頃から、「幽霊が怖い」と思ったことがありません。

別に「幽霊の存在を信じない」ということではありません。むしろ、「人が持つ“強い感情(怨念)”は、残像のようにその場所に留まるのではないか」と思っているので、幽霊のようなものは存在すると思います。ただ、それが自分の生命を脅かすものとは思えなくて。。

正直、幽霊よりも、生きている人間の方がよっぽど怖いと思ってます。

だから、幽霊モノのホラー映画を観てもあまり怖くありません。
「幽霊は超常現象しか起こせないからこのくらいで済むけど、これが生きている人間だったら、もっと酷いことになってるぞ~」と思ってしまうのです。

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9 月
11
2011
0

10年

今日で、アメリカ同時多発テロから10年経ちました。

その時、仕事から帰ってきて、家で遅い夕食を食べながらテレビを観ていたのですが、それまで見ていた番組が中断し、突然ニューヨークからの緊急中継になりました。テレビでワートレから煙が出てるのを見て、「マジー?!」と思っていたら、2機目がサウスタワーに突っ込んで、「何これ?映画?現実?」と混乱したのを、昨日のことのように覚えています。

あれからもう10年だなんて。

7年前のエントリにも書いたけど、テロの後に、ニューヨークの友達の間で“結婚ブーム”がありました。そのカップル達は、もう結婚10周年になります。みんな元気かな?子供生まれたりして、もう“カップル”ではなく、“ファミリー”になってるんだろうな。時が経つのは早いなあ。

首謀者とされていたアルカイダのオサマ・ビン・ラディンも暗殺され、今はもうテロの連鎖が切れたように思われます。

人間は、古代から戦争ばかりしてきました。テリトリーと食料確保のためには仕方の無かったことかもしれないけど、今はもう21世紀。力で他者を征服するのがまかり通る時代ではありません。テロの恐怖で優位性を保とうとしても、それは被害者によって将来報復され、結局覆されるだけだと、世界中の人々が学んだものと思いたいです。

ずっとテロの無い世界でありますように。

Written by may in: maeanism |
7 月
23
2011
2

Amy Winehouse

歌手のエイミー・ワインハウスが亡くなりました。享年27歳でした。

ニュースを見たときは、思わず「Really?」と声を出してしまいました。隣に居た相方に、「何?どうした?誰の訃報?エイミー・ワインハウス?僕、この人知らない」って言うから、YouTubeで彼女の動画を見せたら、一発で分かってくれました。

いつも生傷が絶えず、危うい人だとは思ってはいたけど、悪い予感は的中、突然亡くなってしまいました。死因はオーバードーズらしいです。何度もリハビリ施設に入っては速攻退院していて、ドラッグから抜けられないようだったけど、とうとうそのドラッグに殺されてしまったんだなと思いました。

歌手としては素晴らしい才能を持っていたのに。
とても残念です。R.I.P.

27歳で死んでしまうミュージシャンが多いです。
ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ピート・ハム、カート・コバーン、そして、エイミー・ワインハウス。

昔、彼らの音楽を聴いていた十代の頃、私は「27歳はもう十分に魂を消耗していて、自己破滅も自殺もしょうがないのかな」と思っていました。

でも、自分が歳を取り、27歳を越えて思うのは、「27歳は、死ぬにはまだまだ若過ぎる」ということ。

もちろん、27歳で亡くなってしまったミュージシャン達とは人生の太さも濃さも違うから、自分の27歳の頃と比べてはいけないのだろうけど、私は27歳を越えてからやっと自分が永い間地味に継続してきた努力が実り始め、それ以降の人生は全て27歳以前の努力が礎となっているところがあるから、もし私が27歳で死んでいたら、それ以上の不幸はないだろう、と思うくらいなのです。

生きてこそ、人生。 生きてさえいれば、人生を変えるチャンスはいくらでもある。
だから、今の自分の年齢より若くして失意の中に亡くなった人たちを思うと、とてもいたたまれない気分になるのです。

Written by may in: maeanism |
3 月
02
2011
4

10年前のメモ

今、せっせと実家の自分の部屋の荷物整理をしています。

今の時点で、ほぼ部屋の半分が空になりました。明日には古本屋に買い取ってもらう本の発送をして、週末には全て終わらせたいところです。(でないと、音楽CD(350枚ほど)をHDへコピーする時間が無くなっちゃう!)

荷物整理をしていると、たまに感慨深いものが出てきます。
例えば、私が東京&ワーホリでバンクーバーに暮らしていた頃、地元の友達とやり取りした手紙とか。

その頃は時期的に1995年~1999年で、まだインターネットがそれほど普及していなかったため、連絡手段は「メール」ではなく「直筆の手紙」でした。プリクラが貼ってあったり、妙なイラストが散りばめられていたり、内容も「彼氏と別れたよ~」「ハワイに行ったよ~」という報告的な内容もあれば、真剣な人生相談だったり。

それらの手紙をひとつひとつ読み返し、「そういえばこんなこともあったなぁ」「私は友達に恵まれてるなぁ」と心温まりつつ、でも、これらの手紙をカナダに持っていくことはできないので、細かく破ってキッチリ処分しました(部屋に残しておくと、後々ウチの家族が見つけるかもしれないのです)。

そして、自分の(苦悩の)メモも発見してしまいました。

A4サイズ半分の、何かの裏紙に、びっしり書かれた自分の筆跡。内容は、「やらなければいけないことがいっぱいあるのにもかかわらず、気持ちだけが焦って、結局、何も手をつけられない」という自己批判から始まり、中盤で「でも、焦る必要はない、急ぐ必要はない、自分の速さで少しずつ進めていけばいいじゃないか」となり、「努力さえ続けていけば、将来、100%理想の自分になれなかったとしても、きっと少しはそれに近づけられていると思う。今は何の進展も感じられないけど、きっといつか報われるから頑張ろう」と締めていました。

このメモを書いたのは、(元彼との状況も書いてあり、そこから推測すると)多分2001年秋頃。今から10年前。書いた状況を今でもハッキリ覚えていて、どん詰まりで「あああああ」となり、近くにあった裏紙をビッと半分に破って、勢いで書き上げました。当時は、後日このメモを何度か読み返して自分のモチベーションにしようと思っていたのですが、なぜか行方不明になってしまい、10年経った今日、発見されることにwww。

10年前の私、青いな。若いな。焦ってるなぁ。
今の私なんて、超心穏やか。むしろ、気が抜けてしまっているのに。(申し訳ない~)

でも、その頃、こうしてもがいたお陰で今があるようなもの。
もしタイムマシーンがあったら、この頃の私に会いに行ってハグしてあげたいです。

Written by may in: maeanism |
11 月
25
2010
0

死後

天国も、地獄も、
前世も、来生も、
魂や幽霊でさえも、

「自分の存在の消滅」を恐れる人間が作った、ただの創造の産物だとすれば、

実際、人は死ぬ瞬間、意識を支え続けてきた“脳”の活動が止まった時点で、
自分の存在を、未来永劫失ってしまうのだろうか?

Written by may in: maeanism |
10 月
25
2010
2

キャパシティ

毎日、やりたいこと・やらなければいけないことがいっぱいあり、それらを頑張ってこなそうとしているのだけど、いつも、最終的に自分のキャパの壁にぶつかって、計画通り(自分の理想通り)に物事を進めることができません。

仕事だと、がーっと作業していくうちに、アウトプットし過ぎて頭が疲れ&身体的にも疲労が溜まり、「今日はこれ以上無理」という限界地点に達するし、

語学の勉強だと、ある程度やり進めると頭が飽和状態になって、「今日はこれ以上やっても何も頭に入らない」という限界地点に達するし、

本を読むのも、映画を観るのも、「飽き」で終えるのではなく、「今日はこれ以上のインプットは無理」という「限界」を感じて終わらせているような気がします。

「ああ、もっと自分のキャパが大きければ、“生産量”も“入力量”も“処理量”も増やすことができるのに」

と、思うのだけど、

いい加減、35年も生きていて、理想ではない本当の自分、というか、自分の能力の限界も分かっているので、

一日にあまりたくさん詰め込み過ぎず、「自分のキャパ」を考えて計画を立てられるようになりました。

でも、

「限界」を気にせず計画し、それらをこなすことができたら、どんなにいいことか。
いつも「自分の限界」に打ち切られてしまうことが、とても歯がゆいです。

Written by may in: maeanism |
5 月
19
2010
2

人は、変われる

十数年来の知り合いで、
昔は態度が攻撃的で、印象がとても怖かった人が、
久しぶりに会ってみると、その怖い印象がすっかり消え、
上っ面だけでなく、心から
他人を分かろう、そして人と分かち合おうとするような人に
なっていました。

人は“痛み”無しでは変わることができないので、
この十数年の間に、何かあったのだと思います。
状況からして、その態度が起因して何かトラブルを引き起こしてしまったのか、
それとも、他人(目上の人)から、それについてたしなめられたのかもしれません。

長い間、人は30過ぎたら、その性格・性質はもう変えることはできないと思っていました。
でも、彼を見て、「まだまだ人は変われる」と思いました。

悪い方向にも変わるし、
彼みたいに、良い方向に変わることもできる。

彼が変われたのは、
“痛み”とちゃんと向き合ったから。
自分を反省したから。

もし“痛み”に向き合わず、他人の戒めの言葉を無視し、
自分の引き起こした状況を「自分のせいではない」と否定し続けていたら、
彼は、ますます横柄で乱暴な人間になっていたかもしれません。

今日より明日が、今より未来が明るくなるよう、
私も“痛み”と向き合い、
いい方向に変わっていけたらいいな、と思います。

Written by may in: maeanism |
10 月
30
2009
4

分かっているふり、分からないふり

34歳。

17歳だった頃、「自分はもう大人、物事分かっているつもり」だと思っていた頃から、さらに17年経ちました。

でも、「分かっているつもり」は結局未熟であるがゆえの独りよがりで、その後の17年はそれまでの17年より、2倍も3倍も濃い、一筋縄ではいかない時間を過ごすことになり、無駄な努力をいっぱいし、人に泣かされ人を泣かし、踏んだり蹴ったりしつつも、その痛みの中から、自分は何者か、自分が生きているこの世界は何なのかがおのずと分かっていきました。

17歳の頃は、分かっているふりをして、その先を見ようとしなかったけど、
34歳の今は、まだまだ分かっていないふりをして、もっと先を見ようとしています。

その先には、これまで経験したことがない概念や知識や感情がまだまだいっぱいあるはず。
それらを知り、そこからさらに新しい何かに気付いていきたいです。

Written by may in: maeanism |
7 月
06
2009
2

信じることは、我侭なこと

その昔、地球は宇宙の中心であり、太陽や星たちが地球を中心に公転していると考えられていました。

それに意義を唱え、地動説(地球自身が動いている)を発表したガリレオは、裁判にかけられ、終身刑を言い渡され、その後、生涯軟禁されることとなりました。

ガリレオが有罪となってしまったのは、当時の人々が“地球は宇宙の中心”だと信じたかったから。もしガリレオの地動説が本当であれば、聖書が間違っていることとなり、そうなると神の威厳が保てない、だから、地動説を検証せず、裁判までして真っ向から地動説を否定したのだと思います。

そして、それは結果的に、「地球自身が動いている」という事実から目をそらすことになりました。

これはほんの例えの話で、何事も、“信じ過ぎる”のは、とても危険なこと。なぜなら、信じ過ぎて、見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じ、そして、現実が見えなくなってしまうから。

人によっては、現実を見たくないために、自分自身で自分の信じたいものだけを頭の中で何度も繰り返し考え、自分の信じたいもの以外(=現実)を寄せ付けないようにしている人もいます。

でもそれは、結局、自分のためにならない。いつも現実は、厳しく過酷。でも、それは仕方のないこと。世の中、全て自分の思うようにはなっていない。

だから、「こうであってほしい」という希望は持っても、それを信じ切らず、自分の視点だけでなく、まわりを見て、事実は何なのかを突き止め、それに向き合っていかなくては、と思います。

Written by may in: maeanism |
4 月
11
2008
0

ヨガとキリスト教

今日のヨガクラスが終わった後、インストラクターさんをつかまえて、前々から気になっていたこと、「キリスト教徒にヨガは受け入られるものなのか?」を聞いてみました。

ヨガの概念は、どちらかというとインド起源の仏教やヒンデュー教に通じるものがあります。反対に、キリスト教とは考え方がまったく異なっている部分(例えば、ヨガ→輪廻転生、キリスト教→復活、など)があります。

カナダはキリスト教の国(10ブロックにひとつは教会がある)で、きっとキリスト教徒がヨガを始めることもあると思うのですが、キリスト教徒のヨギーさんはヨガを通してキリスト教で否定されていることを教えられた時、一体どうするのだろう?とちょっと気になっていました。

インストラクターさんの答えは、「人によりけり」でした。自身のキリスト教への信念は変えずにうまくヨガと付き合える人もいれば、ヨガに嫌悪感を感じて止めてしまう人もいるとのことでした。

彼女の意見は、

「ヨガの起源のVedasは3000年前(キリスト教以前)から存在していて、その内容は「人がどうあるべきかを唱える哲学」と「人々の生活に役立つサイエンス」だった。当時、Vedasはとてもポピュラーで、イエス・キリストもVedasを学び、実践していた。もちろん、古代の聖書にもVedasの概念が取り入れられていた。しかし、キリスト教は時を経て多くの言語に訳されるうち、抽象表現(abstract conception)や暗喩(metaphor)の解釈が変えられてき、そのうち、教会が組織化され、国家へ取り入れられるに伴い、さらに「統治する者」の都合のいい解釈に変えられていった。ヨガの元のVedasは、キリスト教の数千年も前に確立されていたもので、その概念は聖書の元にもなっているにもかかわらず、今ではそれら2つの概念に差異があるのは、聖書が変わってしまったせいである。

宗教は、あまりに熱心になり過ぎると、自分の宗教が唯一神、自分の宗教だけが正しい、異教徒を自分の宗教へ改宗させるのは相手を救うことだ、と信じて周りを省みることができなくなってしまう。ウチのヨガスタジオにも、おじさんが聖書を持ってしょっちゅうやって来る。超しつこくて、正直、営業妨害(笑)。そのおじさんに「ヨガの元のVedasは、キリスト教の数千年も前に確立されていたもので、その概念は聖書の元にもなっている。今の聖書は解釈はオリジナルとはもうかけ離れてしまっているから、聖書よりVedas勉強したら?」と言ってあげたい。実際、言えないけど(笑)。オリジナルの聖書ではなく、今の聖書が好きなのかもしれないしね。

私の考えは、自分が信じるものがあれば、それを自分の中でこの先しっかり持っておけばいい。でも、新しい概念を知り、それを受け入れることにより自分が向上できると思ったなら、それもどんどん受け入れていった方がいい。時代は変わり、状況は変わり、自分自身も変わり続けている。だから、自分の支持する概念もそれらに伴って変わっていった方がいい。むしろ、変えていく努力をした方がいい。ひとつの概念を頑なに支持し、他を受け付けられなくなってしまうよりは」

ということでした。

彼女のヨガをやっている時の声は、歌っているように軽やかで、聞いてて気持ちよくなってしまう声のですが、この時はハキハキしててちょっと意外でした。

Written by may in: maeanism | タグ:

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