3 月
19
2008
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目標を持つこと・努力すること

昨日、3ヵ月間メキシコに行っていた元同僚がバンクーバーに戻ってきました。彼は、バンクーバーに3日間だけ滞在して、明日にでもNYに発つとのことだったので、今夜、急慮いっしょにご飯を食べることになりました。

久しぶりに会った彼は、日本人に見えないほど日焼けして、なぜか髪型が往年のJames Brownになってました。去年はたどたどしい英語を喋っていたのに、今では英語もスペイン語も流暢に喋れるようになっていてビックリしました。

明日NYに発つというのは、NYの会社で就職の面接があるからだそうです。自分の夢に向かって真っ直ぐチャレンジしていくその姿に、少し心打たれました。

私は十代の頃、すごく擦れてて、何をするにもダルくて、何か目標を持って努力することが、とってもカッコ悪く、ムダで馬鹿げたことだと思ってました。

でも、親元を離れてから、毎日ご飯を食べるため、毎月家賃を払うために、お金を稼がなければいけなくなり、自分の生活を支えられるほどのお金を稼ぐために、人が簡単にできない仕事、専門的で給料がいい仕事を選び、「これができるようになりたい」と考えいろいろなところに飛び込んで、働きながら勉強して時に悩んでそれでも踏ん張ってきました。

今思えば、その頃の「これができるようになりたい」という思いは「目標」そのもので、ポジティブな姿勢ではなかったけれど結局ずっと努力してきたことになりました。そうして得たものは、今自分が持っているかけがえのないもの全てになりました。

目標を持って努力することは大事です。長く努力し続けることも大事。最終的にその目標を達成することができなくても、努力した分必ず何か得るものがあるし、なにより目標を持たずに何もしないよりは大きなadvanceがあるからです。

それを彼に言ったら、「僕はこうみえても根が真面目だから。自分が何したいか知ってるし、それに向かって自分がやれるだけのことはやっていくつもり。頑張る!」と笑ってました。

彼は今後、どんなことがあってもくじけることなく己の道を信じて走っていくんだろうなぁと思います。

短時間でも会えてよかった。
パワーをいっぱいもらいました☆

Written by may in: maeanism |
10 月
26
2007
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「幸せ」ってなんだろう?

今、自分は「幸せ」なのか、考えてみました。

傍から見たら、「(気弱でオタクで腕力の無い)優しい相方に恵まれ」「可愛いネコに毎日癒され」「海外で自分のやりたいように自由に生きている」ように見られ、実際その通りなんだけど、自分はそれを「恵まれてる」とも「当たり前」だとも思ってなく、むしろ、「それらは自分自身の内面のモノでなく、あくまで外部要素」という認識があるのです。

今まで、「いっぱいいっぱい必死になって頑張っている時」「毎日濃厚に生きてる時」に充実感を感じ、それが「幸せ」のように思ってきました。

だから、一般的な幸せ要素の、「外的要素(恋人、家族、住居、金銭)に恵まれ」「何の義務もストレスもない生活」を、どうしても「幸せ」だとは思えませんでした。

だから、学校→学校、学校→仕事の「繋ぎ」の空き時期の間、リラックスして自由を満喫すればいいのに、なぜかストレス感じまくり。その時は、自分でもなぜそんなにイライラしてるのか分からず、相方に八つ当たりしたりして荒れてました。(ゴメンナサイ)

今は、そこそこいい塩梅のストレス生活を送ってます。「毎日やることだらけ」&「今後の課題だらけ」だけど、それが将来に繋がると信じてるから頑張ろうと思えるし、ストレスのお陰で相方に八つ当たりしなくなったし(笑)。

でも、これはあくまで自分が主観の「幸せ」。
将来、子供とか出来たら、また「幸せ」の対象が変わるんだろうな。

自分の価値観をしっかり認識しながら、迷わず生きていきたいと思います。

Written by may in: maeanism |
10 月
20
2007
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ResultよりProcess

最近、気付いたこと。

簡単に手に入れたものは、簡単に失うのに、
苦労して手に入れたものは、いつまでも自分の中に残っているということ。

きっと、「結果」より、その「過程」で得るものの方が大きいからなんだろうな。

Written by may in: maeanism |
9 月
24
2007
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息切れ気味

毎日宿題や課題に追われている状態が長く続いているためか、最近、勉強に対する意欲や集中力が欠けてきました。

夕食後、机に向かうのが億劫に感じてしまったり、
宿題を終わらせる前に寝てしまったり、
In-class quizで間違えた問題の見直しをしなくなったり。

これじゃあダメだ!と思うのだけど、一度気を緩めると、なかなか気合を入れ直すのが難しくて、「今回のタームは難しいから一度落としてリテイクした方が自分にとってもいいんだ!いいはずだ!(だから今は“流し”で勉強進めよう)」と、自分に対して言い訳まで作ってしまったり・・・

こんなんじゃ、ダメだー。
ダメダメだー。

anyway、自己鍛錬とは、最終的に自分に勝てるかどうかにかかっていると思うので、なんとか自分を奮い立たせて、コンディションを「停滞→前進」に変えられるよう頑張りたいと思います。

Written by may in: maeanism |
8 月
28
2007
2

アンフェアな主張

私は、バンクーバーでは“ゲイ(同性愛)・ストリート”として有名な「Davie St.」に住んでいます。

だからウチのアパートにゲイの人がいっぱい住んでいるし、外を歩けば普通に男×男、女×女のカップルが手をつないで歩いています。日本では考えられないことだけど、ここではこれが日常。それぞれの国・街で肩身の狭い思いをしてきたゲイ達が、普通の人と同様に自分らしく生きるためにここに移り住んでくるので、Davie付近はゲイの人たちでいっぱいなのです。

先週、外出した時、アパートを出て1ブロックのところで、日本人らしき中年女性に、「あなた、日本人ですよね?よろしかったらコレを読んでください。ゲイに関する大事なことが載っています」と、日本語で書かれた薄い冊子を渡されました。

それは、ある有名なキリスト系の宗教雑誌の日本語版でした。中年女性が言っていた“ゲイに関する記事”のタイトルは、「若い人は尋ねる・・・ 同性愛-どうすれば避けられるだろう」。内容は、「昨今、メディアにてゲイが肯定されているがそれは間違い。ティーンエージャーが経験する同性に対する性衝動は、メディアに影響されているだけ。それに惑わされず、聖書に書かれている通り同性愛を否定し、自分がゲイになるのを防ごう」というものでした。

でも、記事の中で「同性愛は間違った根深い欲望」と言い切り、しかし「同性愛が“遺伝か環境か”という議論について詳しく取り上げることはこの記事の目的ではありません」と、筆者が主張したいことだけを主張し、現実や関連する要素全てを無視して議論を進めているので、「アンフェアで納得できない書き方してる。こりゃダメだ」と思ってしまいました。

(ウチの学校では、論文をこのように書くと減点されます。主張する点、その理由、それに対する否定的な意見、全てをカバーした結論付けをしないと、それは“完璧な主張”とみなされないのです)

ゲイは、忌むものではないと思います。
彼らは存在する。そして、それは間違っていない。

人間は、神が思っている以上に複雑で(私は自分がその“人間”だから、十分過ぎるほどそれを知っています)、神の言霊を“人間が”記した聖書では説明できなほど多くの異なる人間が存在しています。なのに、キリスト教がイスラム教を否定したり、白人が黒人を否定したり、異性愛者が同性愛者を否定したりと、自分と異なる者を認めず排除してばかりいたら、あっという間に世界がcollapseしてしまいます。神と人間は全く違う存在だけど、宗教は違っても肌の色は違っても性嗜好は違っても私たちは同じ人間同士。それなのに、同胞に対する最低限の思いやりも持たず、自分だけの神の名を借りて不完全な記事を冊子に載せてマイノリティを責める行為は、とてもアンフェアだと思いました。

Davie St.でこの内容の冊子を配っていた中年女性は、「日本語だから大丈夫」と考えて配っていたと思うのですが、布教に盲目になり過ぎて、ゲイの人たちを全く尊重していません。ちょっとやり過ぎです。布教するのは自由なので、他のところで思う存分やりましょう!

ちなみに、Davie St.付近の教会は違う宗派のキリスト教で、基本的に“ゲイ大歓迎”です。キリスト教は基本的に“間違いを犯した人を許して救う”救済系の宗教です。ゲイだからといって門前払いにはしないのです。

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12 月
10
2006
0

もっと持たれ合ってもいいのに

最近なんとなく、中国系の人の人間関係はいつも「持ちつ持たれつ」、お互いとことん利用し合ってどんどん絆を強めていくのに対し、日本人はちょっと世話してあげてもすぐ借りを返してイーブンに戻し、関係を終わらせようとする傾向があるように感じています。

もっと持たれ合ってもいいのに。
なんだか寂しいなぁ。

Written by may in: maeanism |
11 月
10
2006
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いじめる側の問題

今、日本でイジメ問題が話題になっているようです。インターネットのニュースで知りました。

イジメって、人間が「弱い者を虐げることによって優越感を持ち、悦を感じる」というfeelingを持っている限り、どれだけ時代や状況が変わっても、なかなか無くならないものだと思います。

でも、「人をいじめてはいけない」「他人が嫌がることをしてはいけない、悲しませてはいけない」は道徳云々以前に、まともな人間だったら普通に「やらない」と思います。それを乗り越え、誰か標的を見付けていじめてしまう「いじめる側」の人は、きっとその人自身が歯止めを利かせることができない、人間性がまだまだ未熟(イジメ行為を目撃した周りの人間による自分への評価がどのように変わるか予測できない(=社会的修行が足りない)、他人を配慮する心がない(情緒育成に欠落した部分がある))からだと思います。

私が中学生の時、ある運動系の部活に所属していたのですが、同じ部活の同級生の中に一人、いじめっ子気質の子がいました。部活動後、毎日一緒に帰っていた仲良しグループの中の一人を突然無視し始めて挙句の果てにグループから追い出したり、後輩の一人を標的にして「あの子の態度が悪いからウチラが先輩として注意してやらないと」と率先して言い出したりしていました(ちなみに、私はその後輩の態度が悪いと感じたことは一度も無かったです)。

今思うと、彼女の標的になる人間は、彼女よりちょっとパワーが足りない子、立場が弱い子だったように思います。私は彼女とは常に対等だったので標的になることもなく、元々特に仲が良かったわけではないので、中学卒業後、そのまま彼女の存在を忘れてしまっていました。

卒業してから10年後、一度カナダ(&アメリカ)から帰って地元で働いていた頃、仕事帰りに偶然電車の中で彼女を見かけました。母親らしき人と腕を組んで座り、足を絡ませながら仲良さ気に話をしている同世代らしき女性を見かけ、なんとなく「“仲良さ気”具合が少し異常だな」と思って顔を見たら、彼女でした。

中学卒業当時と変わらない「ヘルメットのようなおかっぱ」の髪形に、全く化粧をしていないスッピン顔(眉毛が全然手入れされてなくボサボサ)、そして25歳とは思えない高校生のような服装でした。彼女は、向かいに座っていた私に一度も視線を向けることなく、私に全く気付かないまま地元の駅で母親と一緒に電車を下りていきました。

そういえば昔、彼女の家庭は少し特殊な事情を抱えているという話を聞いたように思います。どういう事情かは知らないけど(忘れてしまった?)、その事情が中学時代の彼女を「いじめっ子気質」に育て上げ、10年後、このような状態にさせたのだな、と思いました。

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9 月
11
2006
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あれから5年

今日でアメリカ同時多発テロ事件発生より5年経ちました。バンクーバーでは、どこに行ってもテロ犠牲者に追悼の意を込めて半旗が掲げられていました。

この世界にある不公平、
それを生み出す状況、
そしてそれを利用する者達と、
それに翻弄される者達。

公平さ(fairness)と、他者への敬意(respect diversity, cultural identity and each other’s rights)に欠ける状況を改善しないと、悲劇の連鎖は断ち切れないように思います。

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6 月
12
2006
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「笑い」のセンス

TV番組で、事故やアクシデントのビデオに可笑しな効果音と笑い声を付けるセンスが、ちょっと理解できない。テロップで「彼はこの事故で全治5ヶ月の重症を負った」と出たら、なおさら笑えない。

人を貶めて笑いを取るセンスが、ちょっと理解できない。人の失敗を悦び、せせら笑うことを促されても、笑えない。

「笑いに理屈なんていらないんだよ、可笑しければ笑ってスッキリすればそれでいいんだよ」と言われるけれど、もし、笑われることで悲しい思いをする人がいたら、やっぱり笑えない。

Written by may in: maeanism |
3 月
16
2006
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アイデンティティ不足

もう1年くらい前の話なのですが、元ルームメイトの“帰国寸前の”友達が、当時私が住んでいたアパートにやってきて来て、「日本に帰りたくない、就職するのがイヤだ」と言っていたことがあります。

その理由を聞いたら、「親に頼んで留学させてもらったけど、実際留学してみて、これがホントに自分がやりたかったことなのか分からない。就職してしまったら終わりだから、その前にまだ何かやれること、自分のやりたいことをやりたい」ということでした。

私はその時、「就職したら“終わり”じゃなくて、むしろ、働いたら自由なお金が持てて、自分のお金でやれること、やりたいことがいっぱいできるよ」と話したのですが、その言葉は軽く無視され、その日はずっと「日本に帰りたくない、就職したくない」と繰り返していました。

バンクーバーは一時滞在の日本人がとても多い街です。観光、留学、ワーホリと身分は様々。皆、期限付きのビザを持ってバンクーバーにやって来ては去っていきます。多くが明確な目標を持ってやって来ているのですが、中には「何をしたいのか分からない→だから、とりあえず留学、とりあえずワーホリ」「今、就職したくない→だから留学、ワーホリ」という人も。

なんかそれを聞くと、「経験として将来役に立つもの」よりも「今、興味の向く道、楽しそうな道、楽な道」を選んでいるような気がします。

10年以上昔、「人生の岐路に立った時は、“What do I want to DO?(自分は何をしたいか?)”ではなく“What do I want to BE?(どんな自分になりたいか?)”を考えて判断すれば、おのずと自分が選ぶべき道が見えるし、選択に迷いがなくなるよ」と、人に言われました。

今思うと、この“BE”の考え方は私に「自己の認識」アイデンティティを意識させる意味でとても役に立ったのではないかと思います。自分は唯一で、他人から影響を与えられるけれどコントロールはされない、だからそれぞれの人生の選択にはむしろ“選択肢”は存在せず、方向性は0から作り上げることができる。

日本人青年一時滞在者の期待と現実 - 実地調査の結果から - (2002年2月)

“自分に対する定義が曖昧なため、セルフ・エスティーム(Self-esteem。他人が思ってくれる自分の姿を、自分のアイデンティティとして捉える)に人生の選択が影響されてしまう。選択肢を与えられないと決められず、自由に決めることができるとなると混乱する。また、今自分が幸せかどうかも他人に左右されてしまう。”

これは少し古いレポートなのですが、観光・留学・ワーホリ(そして移民)の夢の街バンクーバーの実態が現れています。

Written by may in: maeanism | タグ:

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