11 月
04
2008
4

歴史が変わった瞬間

オバマ新大統領

オバマ新大統領

今日は、朝からどこでも大統領選挙の話題で持ちきりでした。

私の周りはブッシュ政権に反感を持っている人が多く、彼らが「オバマ氏が勝つとイラク戦争終わるかもしれないよ」と話していたので、私も気になり、夕食作り始めた頃からTVを付け、NBCの2008 Election Nightを見ていました。そしたら、どんどん各州でオバマ氏が勝ち続け、そして当選確実になり、午後9時頃にはオバマ氏の勝利宣言のスピーチが始まりました。

ポポに邪魔されながらスピーチを見てたのですが、「とうとうアメリカに白人ではない大統領(オバマ氏は黒人(父)と白人(母)のミックス)が誕生したんだ、ここで歴史がまた変わったんだなぁ」と思いました。

ある時点で当然だったこと、「変えるのは不可能」と思われてきたことでさえも、時の流れ、人の意識の移り変わりによって、何もかも変わってきました。ベルリンの壁、アパルトヘイト、ソ連、そして今、公民権運動があった国で、黒人の血が流れる大統領が誕生しました。きっと20、30年後、私がおばあちゃんになってる頃には「昔、アメリカの大統領は白人ばかりだったんだよ。あんな時代があったなんて。白人至上主義もいいところだ」と言われてるかもしれません。

今この瞬間も、時は刻まれ、それと共に今はまだ見えない何かが変わりつつあります。
そんな中で毎日自分は生きてるんだなぁと思いました。

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11 月
28
2005
2

兵役逃れ

私の相方の弟が来月からシンガポールの兵役に就くことになりました。それをメッセンジャーで知った彼は「はああ?マジかよっ」と叫んで(吠えて?)ました。

というのは、彼は兵役を逃れてカナダに渡ってきているからです。彼は台湾で生まれ、13歳で家族と一緒にシンガポールに移民し、17歳で市民権を取ったものの兵役を逃れるために18歳でシンガポール国籍を捨てて台湾国籍に戻し、台湾帰国後即行パスポートを作って徴兵される前にこっそり出国してカナダに来ました(そこまでして兵役から逃げる理由がそれなりにあります。ここではそれに触れませんが)。そのため、家族全員シンガポール国籍なのに自分一人だけ台湾国籍です。

そんな相方の友人の台湾人の多くは“兵役逃れ仲間”だったりします。彼らから聞くところによると兵役を逃れるのは相当大変なことみたいで、徴兵時の健康診断で病気や虚弱体質などで兵役生活に耐えられないと判断された人、病的に太っている人・痩せている人、極端に視力が悪いなど身体に何らかの問題がある人以外は全員兵役に就かなければいけないそうです。人によっては兵役を逃れるために、銃の引き金を引くために必要な右手の人差し指を(かなり深く)カットし、身体検査で傷跡を見せて「神経が切れてて動かない」などと言って兵役を逃れるのだそうです。

兵役に就く時期は基本的に本人で決めることができますが、18歳で高校を、20歳で2年制大学を、22歳で4年生大学を卒業した時点で次の進学先がなければ、ほぼ強制的に兵役に就かなければいけません。就職は兵役を終えた後に行うものだそうです。

そのため、徴兵のタイミングで海外へ留学して兵役を逃れようとする人がたくさんいます。政府の方もそれを知っているので、台湾は16歳以上、シンガポールでは18歳以上になると、兵役前の男子の海外渡航(旅行・留学)が難しくなるみたいです。そのためか、バンクーバーにいる台湾人の男の子は、まだ簡単に出国できる14、15歳の時点でカナダに来て、それから何度も学生ビザを更新して滞在し続けている子が多いです。

ちなみにカナダ(海外)に住んでいることは台湾の兵役免除の理由になりません。彼らは今でも兵役義務を負っています。それどころか、兵役の年齢に達していながら海外に滞在していること自体が違法行為なので、皆、台湾に帰国できないでいます(帰国時点でパスポートから兵役を済ませていないことが分かり、強制徴兵されるそうです)。そのため彼らは、学生ビザをひたすら延長し続け、カナダ滞在を引き伸ばしています。

私の相方もそんな滞在者の一人です。彼自身そういう状態をいつまでも続けることを望んでいないため、来月、両親がシンガポールから遊びに来た時に了解を取ってカナダの移民申請を始めるつもりです。カナダ国籍(永住権)が取れたらその時点で台湾国籍を捨て、完全に兵役義務から逃れられたら、自分が生まれ育った台湾・台北に一度帰ってみたいのだそうです。

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5 月
04
2005
0

口先だけでなく行動を

領事館の注意喚起通り、今日、バンクーバーで反日デモがありました。

Vancouver Sun 「War activities protested」

領事館の注意喚起では「1,000人規模になる」とのことでしたが、実際は400~500人程度だったみたいです。中国のデモのような過激さは全くなく、チャイナタウンから領事館までシュプレヒコールを上げて行進し、日本の国連安保理常任理事国就任反対の署名を渡すというものでした。

領事館が事前に注意喚起を出したことに対して、デモ参加者は「まるでウチらが日本人を襲うような警告を出したことが非常に気に入らないよ。ウチらはそんな野蛮じゃないよ」と怒ってたようです。また、デモ代表者が「署名を領事に直接渡したかったのに、領事は会ってもくれなかった」と嘆いてました(←来客には茶ぐらい出してあげましょう)。

日本では反日デモが過激に報道されているようですが、こっちの中国人の友達によると実際はこれに近いモノがあります↓

・産経新聞社 「中国の大学生「反日デモ」どう見た」

だから、最近の日本のマスコミによる反日行動の報道は派手過ぎて目に余るものがあります。それを信じた日本人による感情まかせの意見が膨らんでいるのがとても気になります(´・ω・`)。

立花隆のメディア ソシオ―ポリティクス
・小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ
・中国の反日デモを挑発した小泉首相の政治責任を問う

日本人のほとんどに共通している心情だと思うが、もう戦争の問題はいいかげんにしてもらいたいと思っているのだ。戦争は悪うございました。それは認めてます。何度も謝りました。講和条約も結んだじゃないですか。平和友好条約も結んだじゃないですか。請求権の問題も片付けたじゃないですか。賠償代りの経済援助も山のようにしてきたではないですか。これ以上何度も繰り返し謝罪の問題を蒸し返すのはやめにしてもらいたい、と思っているのだ。

中国も韓国も、本当はこの問題で、これ以上日本との関係を悪化させたくないはずである。できればことをおさめる方向にもっていきたいにちがいない。しかし、ことをおさめるためには、外交的な一定の型を作ることが必要である。国家のことはナアナアでおさめてしまうわけにはいかない。すべからく型にはめた上でおさめることが必要なのである。

中国も、韓国も、求めているのは、ドイツ型の謝罪である。ドイツ型の謝罪とは、1970年に当時の西ドイツ首相ブラントがポーランドを訪問して、ワルシャワ・ゲットーの記念碑の前にひざまずき、「こうすべきであったのにこうしなかったすべての人たちに代ってひざまずく」といって、ひざまずいて謝罪したことをさす。

その後、1985年には、ワイツゼッカー大統領が終戦40周年記念式典で有名な謝罪演説を行い、94年にはコール前首相が、05年にはシュレーダー首相が、などなどドイツ歴代の首相、大統領が(ここに名前をあげない人々を含め)、ポーランド、イスラエル、バルト三国などを毎年のように訪問しては、犠牲者の碑の前で、頭を下げつづけてきた。それによって、ドイツは国際社会から戦争犯罪については許しを得た形になっている。

なぜ小泉首相はそれができないのか。それができないだけでなく、逆に神経を逆なでするようなことをつづけているのはなぜか。

この反日デモの一件で唖然としたのは、小泉首相の態度である。小泉首相の靖国神社参拝問題が、この最大の引き金となっていることはどう否定しようもなく明らかなのに、その点を問う記者の質問に、小泉首相はぬけぬけと「関係ありません」の強弁を繰り返していた。

小泉首相が、中国、韓国の強い反対を知りながら靖国参拝をつづける行動は、小泉首相がどう弁明しようと、日本の戦争に対する反省心が十分でないあらわれと受け取られる可能性がある。

このままいくと、日本は民族をあげての戦争無反省国家であると思われてしまう可能性が非常に強い。

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4 月
18
2004
4

邦人解放−−冷静になって考えたい

中日新聞2004年4月18日社説 「冷静になって考えたい」

小泉首相が、ボランティア活動の継続に「不快感」を表し、自民党総務会では救出経費の請求を訴える声が相次いだ。揚げ句は渡航禁止の法制化まで。 何かが変だ。

NGOやフリージャーナリストとは、「すき間」を埋める人々だ。とりわけ、紛争と交渉に明け暮れる国際社会はすき間だらけである。環境、貧困、衛生、水、教育…。地球上には、国家という枠組みでは解決が難しい重い課題が山積している。NGOが大切なのは、国家間の交渉には付き物の手続きやメンツにとらわれず、国境を容易に飛び越えられる存在であるからだ。

縦の命令系統に支配されて、現場での動きが緩慢になりがちな「国家」に比べ、NGOは横に結びつきやすい。国籍とは無関係にネットワークで結ばれて、機動力を発揮する。NGOははじめから、人と人との関係を基本に結びつく。

紛争地での「人道支援」に当たっては、そんな特性が生きる。統治と秩序をなくした国できずなを結び直すには、人と人との関係をまず築くしかないからだ。ボスニア、ソマリア、そしてコソボ…。NGO抜きにして人道支援は語れない。

解放された高遠菜穂子さんは、イラクの少年が身代わりを申し出たほど現地で慕われている。対日信頼も育った。それを知り武装勢力は早くから犯行の間違いに気づいていた。新たに解放された二人が丁重に扱われたのも、聖職者が積極的に仲介したのも、彼らを理解したからだ。

ジャーナリストらは、危険と使命感をはかりにかけた上、戦場に赴いた人たちだ。危険な場所を避け続けていては、国民の目と耳になれない。

だとすれば、邦人が有事に遭った時救出に全力を挙げるのは、政府として当然の使命ではあるまいか。本人や家族の感謝の言葉を受け入れてまず五人の生還を素直に喜びたい。高遠さんらがやがて再開するだろう活動を、責めることはできない。

政府とNGOは、これからもお互いを尊重し合いつつ、人道支援の両輪であるべきだ。NGOも今度の事件を教訓に危機管理、情報収集、後方支援体制や、政府との連携をさらに強化し、可能だと判断できた時点で活動を進めていけばいい。

五人に沈黙を強いるとしたら、この国こそ、少し危険である。

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